この前「妻の会」みたいなのに行ったんです。
行ってみたら、みんな子どもがいたんだけど、私だけいないみたいな状況で。
「子どもいないんですね。」
「まだ持たないんですか?」
みたいな感じで言われて、すごいハラハラしたんだけど、「普通にこんな感じで聞かれるものなんだ」って思いました。
その、すごいよね、人間って。
出産までだけでもすごいのに、それが終わったら今度は「持ってて当たり前」みたいなところにも驚いちゃって。
子どもが生まれても、悩みは終わらない
結局やっぱり、子どもを持った後も皆さん、人生設計っていうか、学校とか成績とか、そういうことを悩んだり。
この人は海外旅行に長期で行くとか、何の仕事してるとか、そういうところでいろいろな比較が生まれたり。
インターに行くのが正解なのか、日本人学校に行くのが正解なのかとか、そういう悩みをしてて。
なんか、やっぱり子どもがいる人って本当すごいなって思いましたね。
当たり前みたいな、変な感想なんだけど。
私は「人生に正解はある」と思ってる
人生における正解みたいなものって、「ない」って言うじゃないですか。
「人それぞれで人生の正解ってないよ」って。
私はあるって思ってて。
その人生の正解って、多分みんなが「普通」だと思ってることだと思ってて。
これぐらいでいい大学に行って、いい高校に行って、いい中学校に行って。
どういう両親のもとで生まれて、いつ結婚して、どんな仕事について、いくらぐらい稼いで。
年間でどれぐらい旅行に行って、家庭の暮らしは穏やかで、お金も十分あって。
子どもは留学していて、外国語もできて、教養もある。
なんか、正解って普通にあると思うんですよ。
だから「正解がない」っていうのは、私はちょっと語弊があるというか、違うなっていつも思ってて。
正解はある。でも、みんなそこへ行けるわけじゃない
要は、人生に正解はあるんですよ。
でも、その正解を得ることがすごく難しいから、その人それぞれに合わせて、正解っていうものを見ながらも違うものを選択していて、その選択の中で物事を選んでるっていう話なんだと思ってて。
だから正解ってあるんですよ。
人生の成功も失敗も絶対にあるし、格差だってあるし、階層だってあるし、頭がいい悪いとか、育ちがいい悪いとか、あるんですよ。
「ない」っていうのは嘘。
嘘って言うとちょっと言葉が強いけど、そこは「ある」って認識したほうが私はいいなって思ってる派で。
そこに抗い出すと、ただただ生きていけなくなるっていうか。
「格差があるって言いましたよね」って怒り出す人とかいると思うんですけど、まあ、あるからねっていう。
その中でどう選択していくかみたいな話だと思うんですよね。
私のスタート地点
ただ、その選択が難しいんだけど。
格差もあるし、成功も失敗もあるから。
私たちみたいな庶民が成功を求めていく、その成功っていうのは、本当の成功の人にとっては何でもなくて、っていう現実はあるんですよ。
なので、うまく話はまとめられないんだけど、なんか受け入れてもいいのかなって思ったりしてます。
私は田舎育ちで、機能不全家族に生まれちゃって。
父親はアル中だし、自営業で、長男だから継いだ仕事を嫌々やってて、気性も荒くて。
ずっと人生に後悔してるような父親で、九州の男で口下手だから、全然子育てにも参画してないし。
母親は双極性障害を持ってて、公務員だったから、父親の自営業っていう仕事をずっと見下してて。
二人とも高卒で、給与の差はあれど、母親は多分、他人と比較して「夫ってこういうもの」とか、「自分より稼いでて」とか、「安定した収入があって」とか、そういう理想を持ってたんだと思う。
それで毎日喧嘩してて。
母親はそのプライドを持ったまま仕事を辞めて、自分を立ててあげることができなくなって、自分は母親だったっていうステータスから離れられなくなっちゃって。
仕事を失ったからね。
そのプライドが崩れたから。
だから私とか弟をずっと育ててもないのに、祖母が育ててきたのに、ずっと産んだこととか、私が赤ちゃんだった頃の話を延々とするみたいな。
「普通」を知ったのは大学に入ってから
毎日喧嘩して、高校の時はずっと死にたかったし、受験なんて考えられなくて。
進学校だったけど、毎日ゼロ時間しか勉強してなくて。
夫婦喧嘩してて、父親が家のブレーカーを落とすんだよね。
母親が寝たきりだったから。
だから未来のことも考えられないし、勉強なんてしてきてないし。
結局、私立も受けちゃダメだって、お金がないからって言われて。
私はギリギリ私立じゃない大学に入れて。
でも入ってみたら、ちゃんと親がいて、将来のことを考えて、勉強して入ってきた子たちがいて。
もちろん私みたいな境遇の子だっていたと思うんだけど。
「あ、普通ってこれなんだ」って。
そこで初めて私は副作用が出てきちゃって。
弟のほうは私より繊細で、高校の時からその環境が変だってことに気づいて、不登校になっちゃって。
でも私は全く気づかなくて、鈍感で。
だから大学に入って、家を出ることになって。
寮だったから助かったんだけど、それで「ああ、自宅の環境って本当に変だったんだ」って思った。
埋められない20年
でも、もうそこまでで約20年。
スタート地点が違う人が世の中にはゴロゴロいるのよ。
動じない家族っていうものを持ってる人とか、親が裕福な人とか、もともとの生まれがいいとか悪いとか。
そのスタート地点の違いっていうものを、もう乗り越えられない20年っていうものを私はずっと抱えてる。
これからも、同じように人間として、同い年の人に会ったら、その20年の重荷というか、何にもなってないように感じる20年と向き合わなきゃいけない。
一方で、高校の時から留学して、今も親と仲が良くて、親と協力しながら妊娠や出産を乗り越えてる子たちとも、一緒に生きていかないといけない。
そのたびに、スタート地点の違いっていうものを考えてしまうんですよね。
