旦那さんの愚痴一つ言わないよね、と友達に言われたことがある。
あまり愚痴はない。ゼロではないが、その都度伝えているし、憎しむほどのものは一つもない。
夫に死んでほしいと願う妻がいるとも聞いたことのあるこの世の中が不思議なほどだ。私よりも長く生きてほしいが、それはさみしいだろうから私のほうが長生きしてあげたいと願っている。
別に知らないわけではない
夫を嫌う女こそが母だったので、その感覚を知らないわけではない。ただ一つ言えるのは、私のような機能不全家族で育った女もそうではない家族を作れる、というのは一つの自分のなかの光となった。
作ったというのも変だな、家族というものになれていた。まああまり夫婦というもの、家族というものに憧れを持っていないからな気もしている。
結婚はそもそも、そう長くは続かないものかもしれないと子どものときから思っていたので、結婚式や写真を残さないようにしている。そういう感覚で結婚4年目もやっている。(5年目にはメモリアルフォトくらいはいいかもしれん)
急に強いこと言っちゃうね
生きてたらどうにかなるは優しくない嘘である。
結婚したい人のなかでも、もし私のように機能不全家族に生まれた人は、私のような人は、努力して自力で必要な体力と財力と知力を持ち合わせて、友達や家族を作って力技で時間かけてでも頑張るしかない。
それがムリなら行政頼るしかないそれがムリならしぬしかない。これが事実だと思っている。
だからこそ家族を作ること、子どもを持つこと増やすこと育てること、とても大事なことである。
子にしぬしかない、と思わせる親の権利がどこにあるのだろうか。
生まれた瞬間にその子には人権があるだろうけれど、その人権を大切にその子自身が使うためにも周りに守ってもらうためにも、まずは親は子どもを子どもとして育てないといけない。
まずはそこからだ。
タオルとコップの習性
私にはいくつか生活のなかの習性がある。これに夫は合わせてくれているらしい。
数あるなかで困らせているのがタオルとコップの習性である。
どちらも同じ行動でとにかく新しいものを次から次に使いたがり、それでいて使ったものは出しっぱなし、放りっぱなしの始末である。
夫はそれを習性と呼び、私が使ったタオルは夫が翌日にに2回目を使っているらしい。
そしてわたしには毎日新しいバスタオルを使えるように、いつも風呂にはいる前にバタンと開ける戸棚に綺麗な新しいバスタオルを必ず用意してくれている。
日常を愛おしく思えるようになったのは、本当に夫のおかげさまである。
今も朝は苦手だ。朝が来ること、単純に1日がはじまることがまだ歓迎できないでいる気がする。朝をも、いとおしいと思えるようになる日がもしかしたら来るのかも知れない。
