我々は幸せを享受すべき生き物である。教授は苦手であるので、自らの幸せの享受レベルをどんどん下げるしかない。
長く生きていくと苦労に耐えるのが上手くなるという人がいるが、私は幸せになれるというか、幸せになることがに慣れるということを得意になりたい。
幸せに慣れる、ではない
幸せで自分がいることに慣れたいのだ
幸せになりたい、みたいな人がいるが、幸せでいて当たり前の自分に慣れることを目指したい
私は長らく幸せに生きるということを分からずに生きてきた。
しゃがみ込む記憶
おジャ魔女ドレミが「私って世界一不幸な女の子」と言っていて、私も自宅のトイレにしゃがみ込むといつもそう感じていた。あの、トイレの自分のことをよく思い出す。
いまは少子化である。トイレで自分の幸せのことなんか考えたこともなく、毎日病気の母親をどう永らえさせるのかを考え、暴力のある夫婦喧嘩を眺めさせる子どもを生み出してはいけない。
そういうわけで、わたしはまだ幸せになれていない、子どもにもなれきれていない。いわんや、大人にもなりきれていない。
子供を持てないと思った理由
「子供を持たないつもりなら、義理のご両親には事前に説明しないとだね」、と友人に言われた。それを言われて友人とは思えなくなったが、なんてひどいことを考えるし言うんだろうと思った。(深刻にはとらえすぎず笑っている)
義理の妹の娘を見て、「いいな、この子は」と羨ましく思う私は持たないのだ。
目の前にいる子どもを見て羨ましく思う34歳女にはその適性はない。モチベーションもない。
世の中に対して不思議に思うのは、適性とモチベーションを今一番に考えないのかな、ということである。
仕事や学校選びはそうするのに、子どもを産むとなると理性を超えるのかそれをしない人が多い。
まあでもいっか。代わりにどうぞ、よろしくです。
生きるのが未だにうまくいかない
たまに未だにあるのが、居るということがうまくできなくなるときがある。
おそらく、生きるは居ることを当たり前にやりとげることだ。
でもたまに居ても居られなくなるときがある。
先日夫が残業を三時間ほどした。どれくらいで帰るのか連絡がなく、あと少し、遅れる、くらいのは受けていた。
でもその三時間が身動きが一切取れなくなってしまい、終いには泣いてしまった。
こういうことを34歳の私は未だに続けている。
