男の論理はあって、女の論理はない

父権制の崩壊あるいは指導者はもう来ない エッセイ
スポンサーリンク

橋本治の『父権制の崩壊 あるいは指導者はもう来ない』(朝日新書)を読んだ。

男の周りにある外部システムが、それに同調した男にはメリットを与えるような仕組みになっているからだ。会社人間という日本的なものが生まれてしまったのは、戦後の日本で「会社」というものが、それに従う男に最も分かりやすいメリットを与えたからだろう。別の言い方をすれば、世の中は男に都合のいいように出来ていて、それは世の中を構成する論理が「男のもの」だからだ。それで女達は、あれこれと文句を言うし、それがめんどくさくなった女は「男の論理」を無視して勝手に生きて行く。(P 92『父権制の崩壊あるいは指導者はもう来ない(朝日新書)橋本治』)

個人的に、「女の論理は(現段階では)ない」というのは、正しいと思っている。

フェミニズムの女性のイメージは、怒っていて、言葉が強くて、まるで男のように振る舞っていると言われることが多い。これをパターニズムというのだけれども、男の論理の中で女が振舞うと男になってしまう。逆に黙ってしまうと、女性は厳かでおしとやかでという、また逆行した女像が生まれてくる。

今後、女の論理が出てくるとすれば、その筋道を生み出すために必要なのが言葉であり、その言葉というものをフェミニストと呼ばれる人々は探そうともがいているのかもしれない。

現段階で自分がまだ的確に表現できないため、言葉足らずを承知の上でいうと、日本のフェミニズムを引き上げるためには女の力ではできなくて、女は男に引き上げてもらうしかないような気がしている。

タイトルとURLをコピーしました