高橋源一郎の飛ぶ教室、2022年12月16日(金)のNHKラジオより書き起こし。
ゴダールの死については、もう少し経ってから自分のことばでも書きたいと思っているんだけれど、高橋源一郎の追悼文とも言えるラジオトークが良かったので記録に書き起こしました。
書き起こし
ゴダール監督が亡くなりました。本当にショックだったんですね。これについてニュースを読んだ方もいると思います。勝手にしやがれという作品からはじまってヌーベルバーグの最前線を駆け抜けて、勝手にしやがれが1960年なんで、だから60年にわたって活躍を続けた監督なんですけども。僕は本当に小説より映画に影響を受けていると思うくらい、影響を受けているんですが、ある時期から新作が出ても観なくてですね、置いといて次の新作が出たら前のを観ると。
なんかそんな癖になっちゃったんだよね。それで今回亡くなったんで、最後の作品を観てなかったんです。だから亡くなった後にはじめて観た。その話をちょっとしたいと思うんですが。
その前にですね、僕はゴダールという人がどんな人だったかと思うんです。皆さんよく名前はご存知だと思うんですけども。彼は最後、ニュースにもなりましたけれど安楽死を選びました。あれはちょっとびっくりしました。でも、安楽死ってびっくりはしたんだけれどよく考えたらもしかしたらいかにもゴダールらしいなと。
というのは、彼の代表作『勝手にしやがれ』。これはその時代の若者が全員観たっていう。観た方はご存知だと思うんですけれど主人公のジャン=ポール・ベルモンドが映画の一番最後警察に追われて逃げるんですよ。ところが一緒に逃げていたはずのパトリシア、ジーン・セバーグが演じているんですけど、裏切られて警察に追放されて背中を打たれるんです。最後よろめきながら道路を長く走っていくシーンがすごく有名なんですけど。最後、当然だけれど倒れる。それで仰向けに倒れて彼にジーン・セバーグが近づいてくる。それで顔を見合わせるんですよ。するとベルモンドが自分を裏切った自分が一番愛していた女性に「君は最低だ」って言う。そしたらジーン・セバーグは隣の人に「最低って何? どういう意味?」って(聞く)。
その後、ベルモンドは自分の指でまぶたを閉じて死んでいくんですね。これね、最初に観た時もびっくりした。だって人間そんなふうに死なないでしょ? 自分で。だから、最後の幕を自分で下ろした。で、なんかね、それは映画なんだけれどすごい映画らしいでしょ。
ゴダールが最後に自分の死を選んだっていうのはいかにも、最後に自分の指でまぶたを下ろした感じがするんだよね。だからそれはもしかすると映画監督としての誇り、物を作った誇り。僕のような何十年も観ているファンへのメッセージだと僕は最後まで映画監督だったよっていうメッセージだったと思うんだよね。勝手な僕らの邪推に過ぎないかもしれないんだけれど、そうとしか思えない。
それで最後の作品『イメージの本』を観たんですよ。ちょっともう感動し過ぎた。もっと前に観ればよかったんだけれど、亡くなった後に観たら本当にいろいろ染みいるところがあってですね。例えば、彼が今まで観てきた映画の引用みたいなのとフランスの美しい海の風景。本当に美しくて、空が青くて海が青くて。もしかすると人間は最後にこういう風景を見たいのかなというふうに思うわけですね。
それで一番最後。映画が全部終わったかなと思うと、最後にゴダールの声が流れてくるんです。もうこれが彼の本当に最後のメッセージなんです。僕ちょっと画面見ながら書き取ったんで正しいかわからないんですけど、これがもしかすると映画ファンへのメッセージ。
たとえ何一つ望み通りにならなくても、われわれの希望は変わらない。
希望は夢であり続け必要なものだ。
その先も、希望は強敵に封じられた多くの声に火をつけ、つねに湧き上がる。
希望の領地は今より広大になり全大陸におよぶだろう。
異論と抵抗の欲求が減ることはない。
過去が不変であり、希望が不変であるのと同じだ。
そして我々が若い頃熱い希望を抱かせた人々は、例え何一つ望み通りにならなくても希望は生き続ける。
もしかしたらこの時点でゴダールはもう映画をつくることはないと思ったのかもしれない、と思うと、やっぱり物を作るっていうのはここまで覚悟しないといけないのかなと思いました。
以上。
感想
彼のことを語るのはまだ未熟だしもう少し後にしたい。追悼として私はゴダールの作品をもっと観たいと思う。
彼の死の真相を追うことは野暮だけれど、ゴダール「安楽死」の瞬間 宮下洋一という記事は最期がよくわかる記事でした。(https://bungeishunju.com/n/n426b9f42eb1f)