結婚式

「皇族に婚姻の自由はあるのか」リベラル化する君主制を考える(君塚直隆・佐藤優対談)――を読んだ感想。

デイリー新潮の『佐藤優の頂上対決』という連載の中で、イギリス政治外交史を専門にする君塚直隆さんとの対談があったので、印象に残った点と感想をまとめました。

どうして日本は女系天皇であってはいけないのか、という疑問に対して、「人権の思想であるから」と答えた佐藤優さんの意見が自分にはない視点で学びとなりました。

以下、覚えておきたい印象的な部分を3点引用させていただいております。

君主制は感情、共和制は理性に訴える

佐藤 ご著作では「君主制は感情に訴え、共和制は理性に訴える」という分析を紹介しておられましたね。

君塚 イギリスのジャーナリストで思想家のウォルター・バジョットの指摘です。

佐藤 私はこれを読んで、レーニンを思い出しました。レーニンが『何をなすべきか』で、宣伝と扇動を区別するんですね。宣伝、プロパガンダは為政者に対して理性的に紙面で行い、扇動は大衆に声で感情に訴えかける。この二つをうまく使い分けることが、共産党が権力を掌握する鍵だと言っている。それを国家として考えれば、理性としての共和制と感情の君主制になり、君主制が共和制の基礎にある民主主義を補完するのはよくわかります。

引用元:「皇族に婚姻の自由はあるのか」リベラル化する君主制を考える

ヘンリー8世について

佐藤 キリスト教神学に、事効説と人効説という考え方があります。事効説は、儀式や事柄に効力があると考える。だから腐敗した司祭が行った儀式でも、その儀式には効果がある。一方、人効説は腐敗した者が行ったものは効力がないとする。どの教会でも正統派は事効説を取りますが、あまりにひどい司祭がいると、必ず人効説が出てきます。

君塚 まさに1517年のルターの宗教改革ではそれが問われていましたね。ヘンリー8世がイングランド国教会を作った時も、離婚問題が契機になってはいますが、ローマ教皇庁の腐敗が大きな問題としてあった。

佐藤 ヘンリー8世は、実は信仰について真面目な人でしたよね。中学高校の歴史では、カトリックは離婚を認めないので国教会を作ったという女癖の悪い王様みたいに描かれていますが、真剣に信仰に向き合ったからこそ、ローマ教皇庁からの離脱という決断になったのだと思います。

引用元:「皇族に婚姻の自由はあるのか」リベラル化する君主制を考える

「女系天皇でいいじゃないか」は人権の思想

佐藤 実は私は男系維持の方に傾いているのですが、なぜかといえば、このシステムの中に女系が入ってくる理屈が人権の思想だからです。人権の思想を皇室に入れた場合、それが部分で済むのかという問題があります。

君塚 そのご懸念はよくわかります。

佐藤 婚姻の自由があるのだったら、表現の自由はどうか、学問の自由はどうか。さらに言えば政治の自由はどうか、と広がっていきかねない。その時、どうするのか。もともと非合理なシステムですから、どこか部分的にでも合理的なことを入れると、かなり速いスピードで制度が溶解していくと思います。だから非合理なものは非合理なままにしておいたほうがいいと考えているのです。

引用元:「皇族に婚姻の自由はあるのか」リベラル化する君主制を考える

当たり前のように女性の権利として「女であるとダメな理由がわからない」と考えて、女系天皇にすることが良いことであると理由もたらずに考えていたのですが、人権の思想というのがそのそもないのだとしたら……という点まで考えることができていなかったことに気づかされる。

もちろん継承が難しい場合を考えて性別関係ないシステムに変わる時が未来にはくるかもしれないし、こないかもしれないけれど、それはそのときまで先延ばしにしたいというのが現在の皇室の考え方なのだろうと推測ではあるがそのような側面があることは理解した。

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