カルト系や裏社会系のYoutube動画を観てしまうのですが、街録チャンネルや裏社会ジャーニーなどが好きで夢中で観てしまいます。
最近読んだ漫画「テロール教授の怪しい授業」で知った人間のメカニズムが自分が苦手とする毒親やお局に似通っていたのでまとめてみました。
人間の二つのシステム
対人関係は駆け引きの連続。悩んできたのは、一人が好きな人は損な役回りをしてきた。政治的、空気を読む。利害関係の奪い合い。
システムは以下の2点。
- 衝動的で直感的
- 論理的思考能力を備えている
衝動的で直感的
騙されやすく、信じやすいバイアスをそもそも持っていて、人間は人を信用して協力することを得意にしているというシステムをもともと備えているという考え方。
だから、一度信じた人を疑うというが大変。
論理的思考能力を備えている
反対に、疑う役割も備えている。けれどもこちらのシステムは意外となまけてしまうシステムである上に、自分が信じたい持論を持ってきがちに。
だから、自分の信念を肯定できるような証拠を意図的に探し始めるそうです。
これを、確証バイアスといいます。
誰しも、入り口は親友ずらしてやってきて友達として信用させる。
これって、毒親だったりお局の思考にとても似ていると思うんです。最初は甘い顔して近づいてくるけれど、共感しすぎるとうまくいかなくなる。
私の場合も、思い出してみると最初は手作りの惣菜を渡してきたり、読んでいる本を聞いてきて同じ作者の本を読んだりしてきました。
お局のこと
欠如モデルの発想
「知らないのだから教えてあげればわかるはず」と思うのが欠如モデルの発想です。
つまり、正しい情報を基に理性的に考えると私たちは同一の考えにたどり着く者だと信じ込んでしまっている。
ただし、そんなに人間は単純にいかない。
理性の観点から理性を排しても、人の心は非合理的ともいうべき反応を示してしまう。
テロリストが貧困や教育の欠乏を原因として生まれるのは間違った言説。
テロリストは裕福で高学歴なひとだから
そういう人たちは自分の判断力が他の人よりも勝るとも劣らないと確信している場合がある。
偏った思想にかぶれた個人を説得することは難しく、不可能に近い。
そのため、必要なのはその人自身に間違っていることに気付いてもらうこと。
お局自身も自分が長年かけて培ってきた「真実」に基づいて、それを相手に、それも彼女たちにとっては不勉強な相手に教えてあげようとしているんです。
それに対して、私たちは間違いだと、そんなのは理不尽で人間的でもないという「真実」を言い合っている。
そのとき、ものすごく苛立ちますが、その苛立ちを相手も同じように感じているんです。
どちらも持っている自分の正解
これに気付いたときにすごく恐ろしいことだと思いました。
どちらも自分の持つ正解を知っていて、正解があると信じている。
それでも私たちは相手はどうしようもなく間違えていると思うのと同じように、お局も若い女の子や新人に対して相手はどうしようもなく間違えているとする人間同士のコミュニケーションは失敗してしまいます。
一つの価値観の虜になる
私たちは上の人に対して、範を示すべき人だという固定観念を持ってしまっている。モンスター上司やお局という諸悪の根元を見いだしてそれを倒しても自分は治らない。
どう対応するのか
これが難しいのですが、よく言われているいなす力が効いてきます。
最初の対応は転職ではない。とにかく相手との対話が無理だと感じたら、自分との対話に切り替える。それと罪悪感は感じる必要はないけれども相手もこれまで生きてきた信念を通していることは理解しておくと傲慢になりすぎないで自分を守ることができる。
いま必要であることは、もっとひどい状況にならないこと、よくするよりも止まること、切り替えられる自分の体力や思考力を残して置くこと。
対応例
- 自分と他人の境界線を重視する
- 一度言って聞かないならあきらめる
- 対話して難しければ諦める
- 相手の顔色や言動を見過ぎないようにする
- 自分の自由を確保するという自分本位気持ちで気にしすぎない
- 勘違いであることもある
- 睡眠・食事などの生活リズムを整える
- お腹すいた、眠いという自分の時間を大切にする
- お局たちとのランチは行かなくていい(理論武装についてまとめる)
- どうしても無理なら退職する
- 後悔するタイミングはある
- 失業は経験として捉えて次に進む
- 勤労ではなく勤勉でもいい
否定も肯定もしない
とことん相手を立てて信頼させる力をくすぐる。
これが金魚のフンのようにお局にくっついている女の正体。
本人が自分で目を覚めして納得してはじめて解決に向かう問題。これは叶わないことだけれども、いろいろと嫌な思いをした挙句に自分が間違っていたと認めることははるかに難しくなっている。
上に取り巻くことにおかしな思想にも囚われやすい。
過激化を阻止するしかない
ゼロにはできない。もし付き合いきれなくなったときに、自分が悪かったのかと過剰な罪悪感を持つ必要もないということ。
どういう関係を構築するにしても、人間はときに間違いを受け入れられないという真実を心に留めておかないといけない。
上司や上に人を尊敬したい対象という思い込みが私たちの中にあって、その理想と大きくかけ離れているときにフラストレーションが溜まってくる。
家族や仲間のためにがんばる美徳のうちに弱点やエラーは内包されている。つまり身内は部外者意識の暴走や曖昧で不確実なものを嫌う弱点にもなる。
擬似家族のようにする会社が日本には多い。別に国関係なく、組織はそういう身内と部外者意識のあいまにいる。だからこそ、私個人は家族を大切にすることがとても必要になると思う。日本は結婚も恋愛もしない世の中であって資本主義だけは加速している。そうなれば、擬似家族の会社が増えるばかりでなかなか共感できない価値観を持つ人がマジョリティになり、仕事に取り組めない人はマイノリティーで辛い思いをしているのだと思う。
「家族のように中のいい会社です!」なんていう求人広告はこの時代ないかもしれないけれど、違和感にも感じずにそのようなことを書く会社だって存在する。
共感する必要はないけれど、そのことを理解すれば少しは楽になるのではないかと感じた。