【成田悠輔】非効率でコスパが悪いからこそ本屋は良い|#木曜日は本曜日を観た。
そのなかの一つである、『意味の変容』に興味があったので書き起こし。
森敦『意味の変容』
戦時戦後の放浪生活での実体験から抽象された論理を軸に展開する特異な小説。著者独特の文学観・世界観の精髄が凝縮された四十年におよぶ思索の結晶。
光学機械工場、ダム建設現場、印刷工場etcで10年働いては10年放浪しながら老年に文学に至った軌跡の抽象圧縮。
成田悠輔コメント書き起こし
成田:自伝哲学っていう感じ。自伝小説の素人哲学版みたいな感じ。森敦という普通のカテゴリだと作家だけれど変な遍歴で、文学の世界から消えて確かなんかあのレンズを作ってる工場みたいなので働いてみたり、山の中にあるお寺に修行に入ったりとかしててなんか10年ぐらいずつ全然違う業界・全然違う場所で生活してみるっていう職業放浪者みたいなやった人らしいんです。
それで、おじいちゃんなってから文学の世界に復帰して芥川賞とか取って最後職業文学者になったみたいな人なんですよね。で、この本はその人がその遍歴の中で感じた断片みたいなのを妙に抽象的な感じに書き換えて謎の哲学にしたみたいな本なんですよ。
だからいろんなところで出会ったよくわからない対話とかエピソードみたいなのが散りばめられてるんですけどこのからねよくわかんない図とかが入ってて本当は内部・外部・境界とかなんかその間の関係とはみたいな、わけのわからないすごい抽象度の高い哲学なのか、数学なのかそれともそのどちらでもない哲学もどきなのかみたいなのが混じってるっていうそういう感じでその自分の人生を抽象化するみたいなでだからなんか意味があるのかないのかちょっとよくわかんなんですよ。
しかも体系だっていないんですよ。でもそれが重要だなと思って。まあ哲学とかって、多分元々は人が生きる中で感じた断片から始まってるわけじゃないですかだから古い哲学書とか読むとそんなしっかりした構成とかなくてどっちかっていうと日記に近いような雑記帳に近いようなところから立ち上がってるわけじゃないですか。
だからそれがこう何百年とか何千年をかけてだんだんだんだん大それたものになって。でも、原点に戻るとこんな感じなのかもなって。
人生を変えた10冊
- 神聖喜劇(大西巨人)
- グレープフルーツ・ジュース(オノ・ヨーコ)
- ルネッサンス 経験の条件(岡崎乾二郎)
- 池袋・母子餓死日記 覚え書き(公人の友社(編))
- 桶川ストーカー殺人事件(清水潔)
- 血が、汗が、涙がデザインできるか(石岡瑛子)
- クリストファー男娼窟(草間彌生)
- HERE ヒア(リチャード・マグワイア)
- 意味の変容(森敦)
- トリオリズム(叶恭子)
https://honyoubi.com/004/
感想
際立っているのに普遍的。成田悠輔の語る事柄の表層はいつも深いところにあって、けれど私たちに見せているのはほんの浅い部分なんだろうなとも思う。森敦の意味の変容を読んだのは十代半ばだと言っていて、早熟でいて、学校に行く、何か決められたことをする、そんな型にはまらずに効率も非効率もなにも考えずに人生を生きてきたことを羨ましく思う時もある。同時に彼の場合には不遇とも言える家庭環境から誰もが持っている物差しを一度手放して最初から自分で構築する必要があったからこそ、誰も触れられないところにいるようにも感じる。
ともあれ、今回紹介されていた本の中で気になった森敦の意味の変容は読んでみたいと感じた。自分自身が職業放浪者のような感じで5年スパンくらいで業界も変えて住む場所も変えて暮らしている。別に幸せになりたいとか、人生に役立てたいとかそんな望みは持っていないのだけれど、似たような人間がいることを知ることは救いになるときもあって、そのために私は本を読んでいると感じる。似たような断片を勝手につなぎ合わせて、自分の選択や感情を一つ一つ認める。そういう時間のかかる作業を読書に求めていると今回改めて気づかされた。
ほかにも紹介していた、意味と無意味の淡いを探るパフォーマンスブックと言われたオノヨーコのグレープフルーツジュースと、一人称と三人称を行き来するとも考察できる叶恭子のトリオリズムも興味あるけれど。これはいつか出会えたら、その機会に。
成田悠輔関連記事:
成田悠輔の横道の逸れる人生を表したような音楽と映画『勝手に逃げろ人生』