バーのお酒の写真

中島らも『今夜、すべてのバーで』書き起こし。高橋源一郎の飛ぶ教室 – ヒミツの本棚より。

まるでその本を一冊を読んだかのように感じるのが「秘密の本棚」だと感じる。個人的に、落ち込む時期があれば中島らものことを考えて、YouTubeで中島らもの動画を見て笑い泣きしている。今回もちょうどそういう時期に、ラジオで紹介されて巡り合わせに驚いた。

この記事はラジオの書き起こしであるため、引用部分に書き損じがあることがあります。ラジオの引用部分の紹介ということは理解いただきますようお願いいたします。

書き起こし

高:中島さんは僕の中学・高校の2年後輩の落ちこぼれというところもよく似ているんですけれど、らもさんに会った時に僕のことはよく知っていましたよと言っていたんですけど。僕、生徒会とかやっていたので。でも僕は君のこと知らない、って。まあそういう関係です。

ご存知の方も多いと思いますが亡くなられてまして、演劇、小説、まあいろんな分野で、コピーライターもやったりした中島さんなんですけど、彼の小説の代表作、これが『今夜すべてのバーで』という作品です。これは1991年に発表されて吉川英治文学新人賞を取りました。

物語の概要

高:主人公が、まあアルコール依存症の男、小島いるるというこれは読むと中島さんがモデルになっている。ほかにもね、まあアルコール依存症の患者たちが集まっている病院に入院してるんで、そういう依存症の患者たちもいるんですけれど、これも中島さん、これも中島さんっていうモデルらしい人もいますが基本的には主人公が中島さん自身をモデルにしたもので、迫真の迫力っていうか、やっぱりね、アルコール依存症っていうのはどれほど厳しくきつい世界なのかということをこれだけ克明にかつ面白く。これがね、こんな苦しい話なので笑っちゃうのが彼の能力、腕だなという風に思います、それでちょっと紹介していきたいと思います。

内容紹介

高:さっき言いました、主人公は小島いるる、35歳。18歳から35歳まで17年間毎日飲み続けてきた、小島いるるさんがついに限界にたどり着いて入院します。そこからはじまっています。すごいですよ、冒頭はですね、入院前に病院の前で最後のワンカップを2本飲むと。でアルコールのにおいをさせて入院すると。もうこれがですねえ。同じ病室の患者たちもおじさん、西浦恭三郎、綾瀬保、吉田垂水、福来益三、等々、みんな大体アルコール依存症の患者たち。中には、腎臓が悪い男の子とかね、いろいろいます。

担当医が赤川さんっていう先生。ちょっとなかなか面白い先生なんですけど。この赤川さんがらもさん(主人公のいるる)に言った最初の一言が「飲むなよ、一滴でも飲んだら命の保証はせんぞ」と。これでだんだんだんだん、小島いるるがどんな生活をしてきたのかが病院生活を送りながら書かれています。

35歳で死ぬ、と3人から予言された主人公

高:最初のほうに、35歳で死ぬと3人から予言されていた話。1人目は医者。これは彼が飲んで飲んで、日に焼けたのってくらい顔の色が黒くなっちゃったときに医者に言われて肝臓の数値が悪かったんで、一回辞めると数値が戻った。で君、若いから戻るけどこのまま飲み続けると肝硬変になって35歳で死ぬよ、と言われた。2人目は占い師。占い師も35(歳と言った)。それでもう1人、天道寺という親友がいます。で、この人は交通事故で亡くなっちゃうんですけどそもそも18歳の時に会うのかな。小島いるるが18歳の時に浪人生のときに偶然出会って、心から許し合うという友達なんですけれども、ただ深い酒は彼からも逃げられたということで、彼からもそんなに飲んでいたら35歳で死ぬよと言われ、3人から35歳で死ぬよと言われて、ついに限界を迎えてその通りになっちゃったということなんですね。

アルコール依存症になるまで

高:これが面白いのが、途中でアルコール依存症についての記事がたくさん出てくるんですけれど、アルコール依存症に関する資料を「俺」はむさぼるように読んだんですね。これね、まだまだ飲めるっていうことを確認するために読んでいた。依存症ですからね、でどんな感じで飲んでいたのかが書いてあります。

最初、小島はアルバイトをしていたので、いろいろな会社に行って校正のアルバイトとか。なのでタイムカードを押していたので、17時過ぎに仕事を終えてから飲むと。もちろん毎日飲んでいたんですけど、俺はその頃8時間働いて9時間飲む生活を続けてきた。会社勤めをやめてフリーのライターになってからは1日中飲むようになった。タイムカードを無くなったから。

印象的なシーンがあるんですけどね。そうやってライターになって「君、才能があるから小説を書け」と言われて小説を書きますよと、よくある、書けない。締め切りが迫ってくる、やばい、酒を飲む。日中は天啓が降るのをまってすがるようにウイスキーを飲み続けた、夜は夜でなんとか自分を忘れ泥のように眠るために飲んだ。やがて1日に2本近いボトルが空くようになった。1週間目くらいになって、例のコーラ色の小便が出た。最初は血が混じっているのかと思ったが、コーラか濃い紅茶くらいの色だった。おまけに水のような下痢が続いた。何かの拍子に失禁してしまうようになってきた。便秘が続いたある朝、俺は苦労して用を足したあと真っ白な便が水に浮いているのを見てギョッとした。これは胆汁がまったく出ていないことを意味しているんだろうか。医学書を見ると。医学書を見ていないで医者に行けって感じですけど。便のこれらの状態はすべて肝硬変の症状にぴったりだった。それでも俺は飲み続けた。その頃にはもう固形物を胃が受け付けなくなっていた。柔らかいうどんのようなものを食べても吐き気がして吐いた。牛乳はしばらく飲めたがそれもそのうち吐くようになった。もはや喉を通るものでカロリーのあるものといえば、アルコールだけだった。ウイスキーを流し込むと少しの間は動く元気が出た。それで最後に動けなくなって、病院にたどり着いて今、入院しています、というこの辺ですね。

まあアルコール依存症、あるあるです。

これね、不思議なのは当然お酒はストップするんでだんだん食欲は回復しはじめ、だるくなって、少しずつ回復していきます。

これね、客観的に自分を振り返るところがおかしいんですよね。アメリカのアル中国家委員会の発表によると同じ年にアルコールに関連した死亡、つまり肝硬変、自動車事故、自殺、溺死その他を合わせた総数は9万8000人。年間の薬物死が3万人。不法薬物死が4200人。ヘロインによる死亡は1400人。コカインのそれは800人にすぎない。ついでに言うとタバコによるガン死は32万人である。タバコや酒に比べれば、ヘロインやコカインもものの数ではない。で、おもしろいのがね、ここまで飲むようになってもいつも落ち着いて自分の状態について考えている。

教養とは、1人で時間を潰せること

高:アル中の原因について考えながら小島いるるはこう思います。教養のない人間には酒を飲むことしか残されていない。教養とは学歴のことではなく、1人で時間を潰せることである。俺は、酩酊の手段としてアルコールを選んだ。日本に生まれてそれが一番法的に安全で伝家のドラッグだから。なかなか痛いところをつきますね。そうやって、まあ病院に入って治療を受けながらすこしずつ回復をしてきます。それでこの小島いるるの特徴はよく考えるんですよね。それでこのさっき言った赤川さんもなかなか面白い人で、この2人のやりとりが面白いんですよね。

根本的なアルコール依存症の原因とは

高:根本的なアルコール依存症の原因についてはこんなことを言っています。これはね、僕は本当にそうだと思いました。「酒をやめるためには飲んで得られる報酬よりも、もっと大きな何か、飲まないことによって与えられなければならない。それは多分、生存への希望、他者への愛、幸福なのだろうと思う。飲むことと、飲まないことでは抽象と具象との戦いになる。」

何かもっと大切な、抽象的な何かがなければ飲むことはやめられないと。

この後、肝生検っていう肝臓を検査するんですよね。それで写真を撮って見せられる。健康な肝臓、最悪な肝臓を見せられると、中間の肝臓であると。今なら戻れる。今戻らないと君は肝硬変になって必ず死にます、やめられるのか、っていう話をします。それで終わり頃に、今度は赤川に対してこれは主人公の小島いるるの結論であると同時に、中島さんが何かに依存することの結論だと思います。

これはなかなかね、僕ちょっとかっこいいなと思います。こう言います。

何かに依存するということの結論

高:「わかりましたよ、口がすぎたかもしれない。ただね、俺はアル中だからね。」これね、赤川さんがいろいろ言うんですよね、君はダメだと。学者たちはこう言って、皆こうやってアルコール中毒になっていくんだよって言うと、わかってます。ただね、俺は俺はアル中だからわかるんですが、学者はどんなにアプローチを変えてもアル中の本体にまでは近づけないんですよ。それを幼児体験だの、わかったような分析をされると俺は頭にくるんですよ。アル中のことがわかるときは、他の中毒のすべてがわかるときですよ。薬物中毒はもちろんのこと、ワーカホリックまで含めて、人間の依存てことの本質がわからないとアル中はわからない。わかるのは附属的なことばかりでしょう? 依存ってのはね、つまり、人間そのもののことでもあるんだ。何かに依存していない人間がいるとしたら、それは死者だけですよ。いや、幽霊が出たところを見たら死者だって何かに依存しているのかもしれない。この世にあるものはすべて人間の依存の対象でしょ? アルコールに依存している人間なんてかわいいもんだ。血と金と人間の中毒になった人間が国家に依存して人殺しをやっているじゃないですか。連中も依存症なんですよ、太刀の悪いね。依存のことを考えるんなら、根っこは人間がこの世に生まれてくる、このことにまで関わっっているんだ。心理学者の手に負えるようなもんじゃないでしょ」。

すごい演説ですね。これで赤川先生は本当に屁理屈の多いやつだなって。なかなかでも、すごく冷めている、よくわかっていると思います。僕もね、ここで結論を言ってもしょうがないんですけど、アルコール依存症っていってもまあ、恋愛依存症があったり、スマホ、ゲーム依存があったり、共依存があったり、何にも依存していない人がいるだろかと考えると、アルコール中毒の人はよくわかる。体に出るからね。でもどっちがひどいかっていうのは本当にはわからないって考えると、このアルコール依存しながら精神が澄んでいる。真っ当だなと思います。そして結局、結論は今の通り。

これからまだお話が続いて、僕結構好きなんですけど、治療がだいぶ進んでこれでそろそろ退院していいなと思う頃、俺は外出します。ちょっと夜に、蕎麦屋に入ります。席に座ります。ビールはいかがですか、と言われます。えっ、思うけれど、「じゃあつい」っと一杯飲む。ん、2本飲む。気がついたら3本飲んで、そばは食べていない。バーボンが飲みたいと言ってですね、ラストはバーで泥酔して自分の好きな女の子、さやかちゃんに電話をかけて、小島さん酔ってるでしょ、って。酔ってないよって、言って。電話じゃなくて、「れんわ」って言ってたって言うところがあります。

そして、ロビーに戻っていくと深夜に赤川先生が待っている。ここで2人の間で会話があって、ここはすごく感動的なところなんです。一緒に治療していた少年が亡くなって、遺体の横に行って2人でエチルアルコールを水で割って飲む。そして殴り合うっていうシーンがあるんですね。

今言いましたように、このお話自体は良い終わりになっているんですけど、この小説は中島さんの自分のアルコール依存症の経験について深く書きながら同時に依存とは何かについて書き記した、すごくおもしろいんだけれど、同時にわれわれみんなには喉もとにあいくちを突きつけるようなすばらしい作品だと思います。

雑感

ラジオを聞いて、らもさんの小説の引用を聞いて涙が出た。とくに、「アル中のことがわかるときは、他の中毒のすべてがわかるときですよ。〜〜〜アルコールに依存している人間なんてかわいいもんだ。血と金と人間の中毒になった人間が国家に依存して人殺しをやっているじゃないですか。」の部分。本当にそうだと思った。私たちはになにかしらに死ぬまで囚われて生きている。それでも生き続けられるのは、依存に殺されないようにするには、それを超える抽象的な何かを見つけられるとき、そしてその抽象的な何かというのは、暇な時間をつぶすことのできる、教養とも言い換えられたものであると感じる。

毎週ではなく自分の気になった回だけの更新なので不定期でありますが、本ブログの【高橋源一郎の飛ぶ教室】に関する記事はこちらです。

地方出身女。趣味は読書と映画鑑賞と自転車・散歩。いろいろな土地に住みついて文化や食べ物、言語を学ぶことが道楽。ブログはぼちぼち更新していきます。