じゃむパンの日

NHKラジオ高橋源一郎の飛ぶ教室。赤染昌子著『じゃむパンの日』の書き起こし

高橋源一郎の飛ぶ教室で知った赤染昌子さん。家族や住んでいた京都、それら身の回りにあった出来事や人々のスケッチのような文章。ユーモアと短さが短編小説のような。亡くなってしまったのでもう読めない。

とくに鶴吉さんという昭和のニートのおじさんが好きだった。居ることがつらい世の中とは真反対の存在で、うらやましくもなる。きっとその場にいればどうしようもない人たちも愛おしい登場人物となる、赤染さんの描写は素敵だ。

じゃむパンの日の一部引用

ラジオで紹介していた著書の一部を書き起こししています。ラジオからの引用なので原作と違う箇所があるかもしれません。

昭和の家

戦前祖父の家は海軍の宿舎だった。6畳の間が二つあるだけの小さな平家だった。出征前、祖父は祖母にプロポーズした。祖母は小さくうなずいた。2人はとても若かった。戦後宿舎は大蔵省から払い下げになった1万2659円だった。小さな家は祖父の家になった。祖父は家をもっと立派にしようと思った。祖父は木材を買ってきた。咥えタバコでトンカチ、トンカチ。いつも何かを作っている。釣棚や縁側や塀もつくった。必要のないものもつくった。廊下の途中にドアもつくった。ドアを開けたら廊下はまだ続いている。大作に挑戦したと胸を張っていた。

次に家を二階建てにした。大工さんに頼んだ。町内で一番早く祖父の家が二階建てになった。それが祖父の一番の自慢だった。祖父は家を東京タワーと呼んだ。本家の東京タワーにはるかに遅れた完成だった。祖父の戦後もようやく終わった。

さらに庭を作ったり、畑を駐車場にしたりして、洋間を増築した。シャンデリアもつけた、ソファも買った。小さな家は立派になった。

祖父は年老いた。認知症になった。家族の顔さえわからないことがあった。ある日、大津から戦友がきた。数日前から、祖父は紙に「戦友来る」と書いてその紙を大事にしていた。皆年を取った。戦友はもう4人だけになった。戦友はカメラを持ってきた。祖父の写真を撮った。祖父も戦友の写真を撮った。何枚も撮った。忘れないように、忘れないように。祖父は何度も何度もシャッターを切った。古い家にフラッシュが光った。また会おうと戦友と約束した。

おじいさんは電話に出られますか。別の戦友から電話がかかってきた時に祖父はもういなかった。祖父の葬式の翌日だった。もうすぐ昭和の日。今では祖父の家は町内で一番古い家になった。

ジャムぱんの日

おじいさんという人がどういう人で、どう時間を過ごしてきたのかが短い文章のなかで包んでいくようにわかるような気がする。

昭和のニート

鶴吉さんはニートだった。鶴吉さんは今年還暦を迎えた団塊の世代だ。鶴吉さんは引きこもりやニートの先駆けだ。昭和の時代にはそんな言葉がなかった。鶴吉さんという人だけがデンといた。鶴吉さんは学校を出てからずっと家にいた。今になっても誰に聞いても理由はわからない。今日のニートのように不況や就職難が理由ではなかった。

鶴吉さんの親は亡くなった。鶴吉さんはずっと1人で暮らしている。鶴吉さんは家のなかであぐらをかいたり寝そべったりしてテレビを見ている。私は子どもの頃からその背中を見てきた。路地から丸見えなのだ。鶴吉さんは平気だ。今でも戸を開けっぱなしにしている。鶴吉さんの玄関は上がるとすぐに居間だ。ニートという言葉が生まれるずっと前からいる。

戸を閉めないせいで鶴吉さんは様々な憂き目にあっている。ごはんの後片付けを怠けると野良猫が入ってくる。私の認知症の祖父は路地に打ち水をしようとして鶴吉さんの家に水をかけてしまう。バシャン、バシャンと家の窓ガラスに直接水をかけている。鶴吉さんの玄関の中にも水をまく。畳も濡れる、鶴吉さんも濡れる。打ち水が終わると鶴吉さんの家だけが大雨の後のようになっている。こんな目に遭っても、鶴吉さんは戸を閉めない。鶴吉さんはこの町で生きている。無事に生きている。

町内会の役員をした。長谷組合の役員もした。あんないい人はいない、と祖父はよくいう。祖父は鶴吉さんが好きだ。

鶴吉さんは選挙にも行く。自転車の荷台に洗濯バサミで投票券を挟む。そこへ祖父が立ちはだかる。「おい、待て」。その自転車は祖父が鶴吉さんにあげたものだった。祖父の名前が大きな字で書いてある。「この自転車はお前さんのもんやから、お前さんの名前を書いてやろう」。祖父はそう言って、自転車にペンキを塗って自分の名前を消す。

鶴吉さんがいなくなったことがあった。「長靴を貸してくれ」と言って、いなくなった。次の日に帰ってきた。「見舞いに行ってきた」。近所の人が入院したのでようかんを持って見舞いに行ったのだ。電車にもバスにも乗ったことがない。長靴を履いて歩いて行った。峠を二つも越えた。次の日から戸は開いた。鶴吉さんはちゃんといた。祖父は喜んでいた。

ジャムぱんの日

とにかく家にいるようになってしまった人。居るだけでいい人というのか、居るだけが許された時代というのがとてもいい。当たり前に居ただけの、生きていた人が鶴吉さん。

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地方出身女。趣味は読書と映画鑑賞と自転車・散歩。いろいろな土地に住みついて文化や食べ物、言語を学ぶことが道楽。ブログはぼちぼち更新していきます。