タイプライター

NHKラジオ高橋源一郎の飛ぶ教室。生前の橋本治エピソード書き起こし。

高橋源一郎は死者の思い出を語るとき、才能に溢れているように思う。人間は死ぬという当然のことを思い出させてくれるのと同時に生きていたことがどれだけ素晴らしいことであったのか、確かに本人は生きていたことを振り返らせてくれる。

会ったことのない、たとえば過去の回で言えばゴダール、今回で言えば橋本治さんの人柄がまざまざと見えてくる。今回は橋本治についてだった。彼は平成の終わりに去ってしまったのだけれど、令和に生きてくれていたらこの混沌とした世の中に対してどんなことを言ってくれたのだろうと思うことがある。生前のことがわかるエピソードとしてラジオから書き起こしです。

書き起こし

作家の橋本治さんが亡くなって4年が経ちました。橋本さんのデビュー作は1977年の桃尻娘。主人公は15歳の女子高生のれなちゃん。橋本さんはその女子高生に憑依して、その喋りっぷりも現実そのままに描いて読者にショックを与えました。

それからも橋本さんの書く小説にはあらゆるタイプの人々が、とりわけ「普通の人々」が出てきました。過疎の村に住む老いた農民、チンピラのような若者、夢をなくしたキャバクラ嬢、昭和の頑固な父親、仕事にうんざりしている中年のサラリーマン等々。この時代のすべての日本人がここには出てきます。おそらく橋本さん以外のすべて。

あるとき橋本さんになぜそんなにたくさんの人のことを書けるのか聞いたことがあります。すると橋本さんは僕は取材はしない。でも僕はその人たちになることができるんだよ。とおっしゃったのでした。なぜそんなことが可能なのか、僕は不思議に思ったのでした。しかしそのあとで聞いたひとつのエピソードでその謎が解けたような気がしたのです。

橋本さんのもとにある日「ファンと称する人」がやってきました。そして橋本さんといつまでも話そうとしました。実はその人は重度の統合失調症の患者さんだったのです。彼は話をやめない。けれど橋本さんは追い出そうとはせず、ひたすら話を聞き返事をしました。それから何日かその人は橋本さんのところに泊まっていったそうです。

部屋を掃除するように言うとホースで水をかけて部屋はめちゃくちゃ。秘書の方が呆れて彼からホースを取り上げます。橋本さんは仕方ないねと笑っていました。やがて父親が迎えに現れその人を連れて戻っていったのです。

一体何を話していたんですか。と僕が聞くと、あなたは病気なんだよって説得しようとしたの。と橋本さんはおっしゃいました。何日も?何日も。うん。そんな重度の患者を説得すること、会話をすることなど不可能であることを橋本さんは知っていたと思います。けれども言葉を扱うものの責務として、橋本さんにはその人を見捨てることができなかった。誰でも、どんな人間でも、言葉を交わすことさえできれば通じあえる。あらゆる人間を理解すること。そんな夢のようなプロジェクトの途中で橋本さんは去っていったのでした。

雑感

言葉を扱うものの責務、と高橋源一郎さんは表現していたけれど個人的にはすべての弱者とされてしまう人に対して、マイノリティと言われる人に対する親近感のようなものだったように感じる。人がひとりひとり持つ、誰とも同じでない生き方をそのまま受け入れる。どれも正解にする生き方をしていたのが橋本治だったのかもしれない。だからこそ今は否定ばかりの世の中だからこそ、私たちは自分の人生をすべて正解にしてあげる優しさを持ってあげたい。自分のためにも他人のためにも。しいては、大きな言葉を使えば平和につながると感じる。

*橋本さんの出会ったファンと称する方は、じゃむパンの日に出てくる鶴吉さんみたいな人だったね。

趣味は読書と映画鑑賞と自転車・散歩。いろいろな土地に住みついて文化や食べ物、言語を学ぶことが道楽。ブログはぼちぼち更新していきます。