不寛容論

不寛容論―アメリカが生んだ「共存」の哲学―(新潮選書)

森本あんり著、不寛容論―アメリカが生んだ「共存」の哲学―(新潮選書)を読んだ。

寛容度の低い日本と中国では、宗教を重視する度合いも低い、という事実である。つまりこの両国では、何の宗教であるかを問わず、そもそも宗教というものに対する寛容度が低いのである。日本人は、クリスマスとお正月を一緒に祝い、生まれた時にはお宮参りをし、結婚式を教会で挙げ、葬式は寺に依頼する。だから宗教に寛容だ、というのが通説だが、こうして見る限り、どうやらそれはうわべだけの話のようである。

森本あんり (2106-02-07T15:28:15). 不寛容論アメリカが生んだ「共存」の哲学(新潮選書) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.75-79). Kindle 版.

。日本が多神教の国であるかどうかも、天皇制などを考慮するとかなり複層的な評価になるだろう。ただし、そういう難しい議論を脇において、もう少し簡単な判断も可能である。それは、多神教だからといって多様であるとは言えない、ということである。信じている神の数が多ければ多様だ、というわけではない。みんなが多くの神を信じているなら、それはそれで、人間の集団としてはむしろ偏っている、ということになろう。宗教に無関心な人ばかりが集まっていても、多様とは言えない。多様であるということは、多神教を信じる人も一神教を信じる人もいて、宗教に熱心な人も無関心な人もいる、ということである。それらの人びとが混ざり合い、接触と移動を繰り返し、お互いの存在をより身近に感じるようになれば、社会の寛容度も上がるだろう。本邦では正面から論じられることの少ない宗教が寛容を考える切り口として有効なのも、このゆえである。

森本あんり (2106-02-07T15:28:15). 不寛容論アメリカが生んだ「共存」の哲学(新潮選書) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.107-115). Kindle 版.

アメリカはまた、「中世なき近代」とも言われる。イギリスやフランスや中国や日本は、それぞれ長い時間のうちにいくつもの段階を経て、いわば「成り成りて」できあがった国だが、アメリカにはそういう過去の「しがらみ」がない。近代合理主義の時代に、王権も貴族もなく、「民主国家はこうあるべきだ」という明確な青写真を作り、それをもとに一発勝負で造られた、いわば人工的な国家である

森本あんり (2106-02-07T15:28:15). 不寛容論アメリカが生んだ「共存」の哲学(新潮選書) (Japanese Edition) (Kindle の位置No.227-230). Kindle 版.

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