ローカル女の本棚

30代を目前に控えた元編集者の女が読むに値する「おすすめ本」をレビューするサイト

“日本でいちばん有名なフェミニスト・田嶋陽子”特集『エトセトラVOl.2』ブックレビュー

フェミニズムマガジン『エトセトラVOl.2』を読んだ。フェミニズムのトークショーに参加したことと、以前からファンである英文学者の北村紗衣さんが寄稿しているということで手にとった。

  • 出版社 ‏ : ‎ エトセトラブックス
  • 発売日 ‏ : ‎ 2019/11/7
  • 著者

山内マリコ(やまうち・まりこ)
1980年富山県生まれ。大阪芸術大学映像学科卒業。2008年「16歳はセックスの齢」で「女による女のためのR‐18文学賞読者賞」を受賞。2012年、同作を含む初の単行本『ここは退屈迎えに来て』を刊行、地方に生きる若い女性のリアルを描いた。小説『アズミ・ハルコは行方不明』『かわいい結婚』『あのこは貴族』『選んだ孤独はよい孤独』、エッセイ『皿洗いするの、どっち?目指せ、家庭内男女平等』、短篇&エッセイ『あたしたちよくやってる』など著書多数。

柚木麻子(ゆずき・あさこ)
1981年東京都生まれ。立教大学文学部フランス文学科卒業。2008年「フォーゲットミー、ノットブルー」でオール讀物新人賞、同作を含む連作短篇集『終点のあの子』でデビュー。以後、女性同士の友情や関係性をテーマにした作品を数多く発表。2015年『ナイルパーチの女子会』で山本周五郎賞受賞。同作は、高校生直木賞も受賞した。他の著書に「ランチのアッコちゃん」シリーズ、『本屋さんのダイアナ』『BUTTER』『デートクレンジング』『マジカルグランマ』など多数。

あらすじ紹介

“日本でいちばん有名なフェミニスト”田嶋陽子を大特集! 世代を超えて集結した執筆陣によるエッセイ・書評や、一般投稿「田嶋陽子さんへの手紙」、そして、田嶋陽子本人へのロングインタビューなどで構成。現代のフェミ作家たち=山内マリコ&柚木麻子責任編集による、最強のフェミ・アイコン田嶋陽子へのリスペクトに満ちた一冊。あの頃、テレビで田嶋先生を観ていた、すべての少女たちへ捧げます!

エトセトラブックス

感想評価

four women chatting while sitting on bench
Photo by ELEVATE on Pexels.com

★★

表紙から「I love 田嶋陽子」ってキッツいなと思ったけれど、忖度しないことそのことがこの本の趣旨なのだろうなと思い今回は勢いよく購入。Vol.1の存在走っていたけれど長い間敬遠していた。

全体の感想としては、田嶋陽子に興味を持つ、という点では大いに成功している。作品紹介としても一作品ずつ書かれていて、自分が次にどの本を選ぼうかという指針になる。

ただし、あまりにも多くの人が文章を寄せているからなのか、そもそもこの本の責任編集者がずれているのか、本当にそれが“フェミ”というものでいいのですか?と疑問に思う点がちらほら。

まずよくわからないのは、そもそも編集責任者の冒頭文章からはじまる。なぜか、女にも男と一緒で性欲はあるということを声高に言っている。なぜ男性と競う必要があるのか、勢い余ってはじまる謎の性欲合戦……。(それでいいのか、あんたの”フェミ”とやら)

もう一つ解せないのは、日本の自称フェミニストが怒るのは日本の男性に対してがほとんどだということ。田嶋陽子が若い頃にヨーロッパ貴族の恋人がいた話を持ち出して、こんなステキな男にモテる田嶋陽子さんを(日本の)男たちはブサイクだ何だと叩いてきたのだ、おかしいでしょう?とざっとまとめるとこんな言い分だ。

貴方のどこが、”フェミ”?なのか。女性の自立をよしとした上なのに、ヨーロッパ生まれのイケメン、お金持ちという理想の恋人像がちゃーんとあるじゃない。わたしにはそれがよくわからない。

なぜ最もリスペクトするフェミニスト、田嶋陽子を褒めるポイントがそこなのか。(それでいいのか、あんたの”フェミ”とやら) ただし冒頭からもいうように、この本は面白かった。突っ込みどころだってさまざまな人が寄稿しているので、その人それぞれの考え方があり、定義からのズレもあるのは仕方ない。

その中でも、北村紗衣さんの『田嶋陽子を取り戻せ』は必読。鋭い考察と、田嶋陽子への敬意を感じる。

エトセトラというだけに、読者の「その他もろもろの意見もあるのですが……」というのも大いに結構なのだろう。ツッコミながら自分の意見を考えていくという新たな試みとも思えてきた。

読後コラム

フェミニズムって自己欺瞞

フェミニズムって難しいことだという自分への指摘でもあります

「逃避する自分を正当化したいという気持ちといつも向き合っている」のだと懇願されても困ってしまう。この向き合い方で自己実現できないからと怒り、苦しみ、悲しむというのは間違えた方向にしかいかない。逃避する自分を正当化させてくれと答えてくれる社会はそうない。価値規範が女性を抑圧するものであることは、言い換えれば「自分が抑圧されているのは社会が悪い」にすり替えられる危険性を孕んでいることをいつも心の片隅に置いておかないといけないと思っている。

なので、頭ごなしに私が不幸なのは社会のせいだ、男のせいだと発言して行動に移している女性を見ると「一緒にしないでほしい」という気持ちが生まれるのである。そして今自分の状況を表す便利な言葉がないから、うまく定義できない言葉であるとわかっていながら「フェミニスト」を使うしかなくなっている。そして「女」であることを認める自分がいる。

日本ではなく海外の理論

「フェミニズムは自己欺瞞」と言い切ってしまうと、怒る人がいるのは当然だと思う。だけど、自分の状態や問題を正当化したいという根底にある状態であるまま、自分の状態を騙し、あざむくのは、余計に自分の良心と本心に背いている行為であり、そういう状況である人も少なからずいるのではないかと思ってしまう。

私自身が、女の理論がどこにあるのかを考えたときに、日本ではなく海外のフェミニズムを学びたいと思うのは、日本で最近よく出版されているインスタグラムから発信される女子高生や20代前半の共感を掻き立てるエッセイ(これをエッセイと呼ぶのは納得できない、文学的な価値を下げるなよ)でも社会に直接訴えかけ働きかけるMeToo運動でもなく、今起きているニュースや過去の研究にもとづく理論に引きつけられるのは、フェミニズムが正義とは遠く離れていて、単純に学びとしておもしろいと感じられるからかもしれない。

皆が「確実なもの」を求めている

現状の日本のフェミニズムを見ると、日本の終戦後と同じように激動した時代で皆が「確実なもの」を求めているように思える。その頃の日本の近代化とは、政治や軍事だけにあったのではなく、それをきちんと支える技術があった。語るより何よりも技術があり、ものを動かしたりする社会がそこにはあり、確実な「もの」を人々は熱心に追い求める時代であった。だからものづくりの日本になれた。

日本の今は、他の国と同様「もの」は不要な社会となっている。若い人は、モノを持たない暮らしを求める。単にモノを買えない金銭力の低下と、モノを置けない敷地面積の狭さが理由であることもあるが、欲も体力もない若者と批判される。この社会的な存在については今回の議論からは外れるのでひとまず横においておくけれでも、現代はもう「モノ社会」ではない。
ネットで全てが賄える、手元に何かがある時代ではない。だから「確実なもの」を求めて人々はネットに集い、発言をする。語らなくていいことまで語る。ハッシュタグをつけ、個人が政治発言をしている。語るより走る時代ではない。ブレブレの激動の社会、コロナ時代(それより前からおかしかったのになぜその時は行動しなかったのか?)に確実なものがほしい。

何か変わらない不変的なものがほしい。それというのは、時にお金であり教育であることが多い。だから今の社会はお金社会、教育番組にあふれている。役に立つ不変的なものがほしいと皆が渇望している。(それが本当に不変的な内容なのか、今一度見た方がいい。名前だけの雑学や使い道の定かでない金はいらない。)

そして不変的な自分がほしいと望むのであろう。そうすると次は何かで私を表現したいという、自己表現につながる。それが現代であれば、ツイッター、ユーチューブ、インスタグラム、TikTokが便利で無料の自己表現ツールとなり、みなが努力してアピールしている。でも自分ほど変化していくものはない、そうすると過剰に自分の変化に反応する人もいそうだ。自己表現しようとすると「私の強みは?」「私には何ができるの?」と、どう自分を表現すればいいかという壁にぶつかる。就活も同じである。

絞り出した自分の特徴、「女」

ここで「ない」人が、変わらぬ自分の特徴を絞り出したときに「女」であるというキーワードだった場合、一見「女」というワードは、性別の呼称であり、呼び名も言葉も存在し続ける、変わらない不変的なものであり、世界中に在り続ける存在であり、自分自身の枠を大きく囲えた気がしてくる。これが日本のフェミニストの一種の出現方法であるようにも思っている。

はじめに言った、「フェミニズムは自己欺瞞」とうのは全員に当てはまることではないが、全員にはらんでいる危険性である。「フェミ」流行の後ろで、自分を知らずに正当化する危険性も忘れてはいけない。「女性である」という理由だけで女性を担っている社会成員の一員であると勘違いしてはいけない。その前に、「あなたは誰だ」「自分は誰なのか」「あなたの言う女は誰なのか?」「自分の言う女は誰なのか?」自己欺瞞に陥らないために、ひとまずは発言するときに躊躇うべきだ。

このためらいが女の社会をダメにしてきたと言われても構わないが、論理的に破綻することもあるくらいに「フェミニズム」というのは難しいことなのだと指摘しておきたかった。

読者のレビューをチェック

購入の目的だった田嶋陽子さんのロングインタビューは8ページしかなく、内容も薄く感じました。
田嶋さんのサービス精神や頭の回転の速さ、余裕に助けられている雰囲気で、インタビュアーの準備不足、勉強不足が見える感がありました。

ファンブック的な要素が強い本だから仕方ないのでしょうが、先日公開された文春オンラインの田嶋陽子インタビューが素晴らしかったので、インタビュアーの力量の差を感じました。(ちなみに、今回「エトセトラVol.2」を購入したきっかけは、こちらのインタビュー記事でした。)

総合評価としては☆☆☆といったところで、☆1レビューにある「立ち読みで十分」という言葉もうなずけます。軽さやカジュアルさは浅さにも見えるし、言葉も分かりやすいけど深みは感じられません。

私は40代女性です。「エトセトラVol.2」は”若い人に向けた本”という認識なので、率直に書かれた田嶋さんへのリスペクトや敬愛を好ましいと感じる反面、自分自身が読む本としては物足りなさがあります。ページ数も薄いし(A5サイズ全114ページかな?)、内容がぎっちり詰まった本ではないです。どうしても読者を選ぶと思います。

この雑誌には同人誌のような勢いと軽さがあり、カジュアルにフェミニズムを語っている雰囲気も好ましいです。
反面、主張や意見が表面的と言いますか。田嶋さんは自身のフェミニズム観を分かりやすく伝えてくれますが、責任編集のお二人のフェミニズム観はぼんやりしているように感じました。私は山内さん、柚木さんの文章に触れるのは今回が初めてで、SNSでも見た覚えがなく、お二人がどういう女性か、知らずにこの本を手にしました。そういった事情もあり、お二人のことがよく分からないまま本が始まり、終わった感がありました。

Amazonレビューより一部を引用

今月はフェミニズムの本がたくさん出版されるようで、初心者の私にはとてもありがたい。
特集はフェミニストの田嶋陽子さん。ちょうど田嶋さんのwebインタビューがたくさん拡散されていた時期でもあり、そのインタビューが最高だったのでとてもわくわくしながら読んだ。
あの時代にフェミニストとして、女である田嶋陽子さんが堂々と意見を、それもテレビで言うなんてどれだけ大変なことだったのだろう。
個人的に、北村紗衣さんの文章が心に響いた。田嶋陽子を取り戻すことは、今を生きる若いフェミニストの希望にも繋がるだろう。
あんなにかっこいいんだもの。
かっこよく再評価したい。

Amazonレビューより

もっと本を気軽に毎日読みたいなら

本を読みたいけれど時間がない方におすすめなのがオーディオブック。話題のビジネス書や人気小説など、新しいオーディオブックが毎週更新されていて、スキマ時間を気軽に読書時間に変えることができます。

Kindle unlimited

Amazonの月額制の読み放題Kindle unlimitedも使っています。Kindle端末がなくてもスマホから登録ができて、今話題の実用書から小説、漫画も読めるので月額980円は高くない。読みたいものがなくなったら辞めて、また入会するというのも手です。最初の30日は無料で読めますので、ぜひ登録してみてください。

次へ 投稿

前へ 投稿

© 2022 ローカル女の本棚

テーマの著者 Anders Norén