ご挨拶

結婚していない彼氏と、故郷でもない地方に移住した。家も恋人も仕事も一気に失うかもしれない、リスキーなアドベンチャー。フラフラして地に足がついていないと言われても仕方ないが、私は移住したことを自分の両親に話していない。

引っ越し日が決まってから、彼の両親に挨拶をしにはじめて彼の家に行った。古くからの慣例の筋書きを想像して、前日にはかなり緊張していた。何を話すかどんな顔をするかよりも、「自分の家族のこと」をどう聞かれるかを気にしていた、もちろん聞かれない場合だってあるのだけれど。尋ねられた場合にも相手に罪はなく、もどかしい思いを自分がどう言葉にできるかが大切だだった。

長らく、家制度の廃止ともに結婚に際する両家の顔合わせのようなものは廃止にならないかと願ってきたけれども、彼の家族という新しいつながりが生まれることに喜びを感じている自分もいた。そんな緊張感と少しブルーな感情が入り混じるのは、私が人間として生まれたからだった。人間というのはいつでも例外なく複雑な生き物である。

彼の両親に対しては、口にするのももどかしいけれど、「彼のような素敵な人を育てあげた立派なご両親」だと思っていた。私自身は、親と子どもは別の人間であって、子どもがどんな人間であろうと親は関係していないのだと、自分に足りていない、欠けている部分の哀惜のような部分を慰めるためにそう思い続けてきたのに、私が彼のうしろに見る両親は、子どもと繋がりの深い親だった。

小さい頃にどう生きてきたかは、大人になってからの”豊かさ”として至るところに出てくる。それが”綻び”であることだってあるのだけれど。彼の日々の暮らしのなかにある”豊かさ”は、私に小さい頃から今に至る人生のほのかな幸せな色合いをいつだって見せてくれる。

お菓子を一粒だけ、おかずを一口だけ残して冷蔵庫に入れるところ、時間感覚があって慌てないところ、冬は寒いからシャワーは止めなくていいよと言うところ、休みたいときにリラックスできるところ、読んでいる本にペンで線が引けるところ、鍵を開けるときに手元を電気で照らしてくれるところ、たくさんある。それは小さい頃に、疑いもなく周りにあった愛が与えてくれた当たり前の豊かさ。それを見せてくれることは私にとっては遠回しの愛だったりする。その日1日で終わりでなく、もっと先まで続いている時間感覚。それが私にはない死生観のようなものに思えた。私という人間は、鈍行電車に乗っていながらも、到着地点はみな同じなのに車内の中を全速力で駆け走るような、そんな1日のイメージがある。今日か明日には死ぬかもしれない。幼少期にあまりにも周りの死を見過ぎたせいか、死がいつも身近にあり、肩の上にひょっこりと乗っている。

家族への挨拶当日は、日が暮れた頃にお邪魔した。彼の子どもの頃の写真がピアノの上に飾られてあって、私の知らない時期の彼の顔を見た。今とあまり変わらないけれど、この頃私は何をしてたんだろうね、と私の過去を知らない写真の中の彼に尋ねた。

部屋の奥では、いつも通りらしいのだけどご両親が一緒にキッチンに立って、たくさんのご馳走を作ってくれた。ちらし寿司に煮豚にお吸い物にカプレーゼにと和洋折衷たくさんの料理が並んだ。食卓をみんなで囲んで、彼の家族の昔話や親戚のこと、近所であったおもしろ話をする。わたしは緊張もあったし何よりどの時期の自分のことを話せばいいのかわからなくなり、会話のキャッチボールができなくて何度か彼が助け舟を出してくれた。

時折お義父さんが席を立つときに、私の代わりに話題を持ち出すお義母さんの肩を両手でグッと触れているに気づいた。いつも彼が私に「安心してね」「大丈夫だよ」というメッセージをくれるときと同じだったから。いかに人というのは、ほんのわずかな接触面の感触と質感に何かを感じ取っているのかがわかる。

食卓で食事を終えると、今後はテレビの前のテーブルの周りにみんなで座って、温かいお茶を淹れてアイスを食べながら談話した。時間が来て、今日はありがとうございましたと最後に言ったのだけど、帰り道を歩きながらあれはわたしのためにではなく、彼のためだったのかと気づく。まあいっかと思いながら、お腹いっぱいに安心した気持ちで二人で暮らす部屋にたどり着いた。

愛されてきた人と愛されなかったと思う人間が今は一緒に暮らしている。幸せになってはいけない、幸せのなり方がわからない、そんな気持ちはもうない。偏った未熟さゆえ、私は甘え方がわからなくて、察して欲しいとも思わず言葉で突きつける態度に対して彼はきっと困惑している。それでも自分の偏りを無理に正すこともなく、欠けていようとずれていようと、そういう自分のそばにいる人よりも長生きしたいと、それが私のできる愛情表現だと思っているし、そのままでいてもいいのだそうだ。彼氏と呼ぶのはなんだか違うほどに、だけども家族でもない人と、これからも私として生きてゆく。

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