あざ、アダルト、いじめ

ざんねんな動物・人間のモラハラ

この会社にはああいう人も居るんだと割り切ればいいとまわりが割り切れば当人は増長してモラハラをし続ける。誰かに心身の不調が出ていようと、その人は「そこそこの結果を出すから」「自分の言うことを聞くから」と見過ごしてきた会社の上層部がいただけない。問題性には気付いていたのだから、上司には堂々とした態度が必要だった。会社の規範意識が重視される気味の悪さ。自分と思想信条の異なる人間と個を尊重することもなく、業務の達成というひとつの目標ではない。

理不尽なモラハラをグッと耐えたところで優秀だと褒められた時代はいつのことか、部下がハラスメントで潰されたのなら責められるべきは当然当人であり、被害を受けた人間が責任を感じる必要はひとつもない。なぜそのような道理が通用しないのかといえば、会社組織の病巣が生み出す精神構造を紐解く必要がある。

人間とは自己決定において失敗することがあるざんねんな生き物である。精神を病み病的になることもある。人間にとってもっとも危険な敵は自分自身と他者に対して誤ったイメージを生み出し自分の頭の中でさらに神経中心主義な脳化した(あたまでっかち)な人間である。頭の中には人間世界しかない。

パワハラは組織内の上下関係から生まれる。パワーハラスメントは、その人個人のパワーではなく、組織がその人にあたえる「場の力」によって生まれる。つまりパワハラは「組織という構造に由来する病」である。
組織とは単なる会社といった単位ではなく、もっと大きな業界といったものもふくむ。「個人」がパワハラを告発すると、「あいつは組織に馴染めない人間だ」といわれる。
これはいじめとその告発の構造とも同じである。完結した自分達の世界の中に住んでいるひとは、自分たちの世界の外に別の価値基準を持つ世界があるとは考えない。組織の外側にいる個人というものを想像できないのである。
しかし少しづつ、「組織とは個なる人によって出来あがるものだ」という常識が浸透してきている。その個人はひとりひとりが自分の考え方を持っている。
日本でも、「組織というものは上から下に下がっていく枠組みである」という見方と、「組織はそれを構成する個々の人間が作っていくものだ」という考えが拮抗して併存するようになってきている。
パワハラは組織の上位者による下位の人間への凌辱行為である。「お前は組織のなかにいて組織に面倒をみてもらっているのだから、組織に逆らってはいけない」という考えを基礎にしている。その声はかつては非常に強力であったが、それがようやく今、変わろうとしてきている。
セクハラの構造もパワハラの構造とまったく同じである。だからセクハラをしたとされて辞任した財務省の事務移管は「自分はセクハラはしていないが、自分の所属する組織に迷惑をかけたので辞める」のだといった。これは組織の内側でしか通用しない言語である。「自分の考え方」を持った個人には通用しない。「組織に所属する人間」である前に「自分なりの考えをもった一個人」であることが現在では要請されてきているのである。「組織はすでにできあがっていて、上から下への命令がおりてくるもの」という考えと「組織は我々が作っていくものである」という考えが併存するようになってきている。
組織のほうでは、「お前は組織のなかにいて組織に面倒をみてもらっているのだから、組織には逆らえないよな?」と思っている。しかし昨今、セクハラ被害への告発が続いているということは、それが崩れてきているということである。

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