家父長制

家父長制の終わり。「お父さんはえらい」はもうない

個人的な意見をまとめたコラムです

家父長制は、父親を「一家の長」とする制度で、父親に家族を扶養する義務を負荷するのと同時に、家族を支配統括する父長権を与える制度のことです。

古代ローマにも家父長制はあり、家を存続するために女性が不要であると捉えられていた歴史が見て取れます。日本も同じように「家」を重じていた時代には「男性」を重じていました。

家父長は全家族に対して生殺与奪の権利を持った。生まれた子供はすぐに家父長の座っている椅子のもとに置かれ,家父長がこれを拾い上げると家族の一員として育てられるが,そうでなければ棄てられた。他の家に嫁にやられる運命の女の子,つまり自分の「家」の繁栄にはあまり役に立たない女子とか,不具や奇形の子などが捨てられたという。(「ローマの家父長制度」より)

家父長制はパターナリズム(paternalism⇄マターナリズム/maternalism)ともいわれ、父親が子供のためを思ってよかれと意向を聞かずに意思決定することから来ています。明治時代の日本では、一家の長を戸主と呼び、戸主権が法的に保証されていました。つまり、「戸=家」が「父」という存在を支えていたのです。

その後、日本の家父長制は終わりを告げます。日本国憲法24条の「家族生活における個人の尊厳と両性の平等を実現する法制度」を守っていないとして、1947年(昭和22年)の改正民法公布民法改正により家制度は廃止されました。つまり、1947年時点で、「法的には」家父長制はなくなっています。

家父長制は極端に言えば、「お父さんはえらい」「お母さんは無能」という考えを基礎にしていたわけで、日本の「男社会の歴史」が家父長制から始まったと言っても過言ではないはずです。しかし、法律が変わっても「お父さんはえらい」という考えはなくなったわけではなく、戦後の日本でも長い間、とくに「女性たち」を呪縛し続けました。

この家父長制の呪いが今、本当の意味でようやく崩れ落ちようとしています。「男社会の歴史」を壊そうとしているのが「女性たちの力」です。かつては、社会慣習として「男=主、女=従」が当たり前とされていたため抑圧であるとも感じていませんでしたが、それ自体を女が正しく抑圧であると感じるようになってきているのです。そうとすれば、女性たちはどのように動き始めるか、現在どのような運動が起きているか理解できるのではないでしょうか。

さらに以前は「主である男」という存在が、女を守るものでもありまた抑圧するものでもあった結婚というシステムに変化が生まれているのは当然のことです。家父制が終わった現代に『両性の合意のみによってなりたつ結婚』という存在は脆く、今では単なる建物となってしまった「家」という抽象と「主としての男」という概念を背景に持たない結婚は壊れかけています。

しかし、今でも女性たちは誰に決められたでもない適齢とともに結婚を望み、さらに結婚届を市区役所に提出すると、新しい戸籍が作られます。そして結婚後には誰を「戸主」にするか、また一つしか選び取れない夫婦姓を決めなければいけません。「父」という法制度はもうないに等しい状態でも、戸主に縛られ、姓名は一つしか容認されず、二人で作る結婚というシステムというのは男女に限定されているのです。これは、あまりにも時代錯誤であり、この機能不全な日本のシステムに違和感を感じる人々がいないはずはないのです。

家を代表する者はただ一人であり、それは男でなくてはならないという制度はもはや機能しなくなってきています。

<参考>

父権制の崩壊 あるいは指導者はもう来ない (朝日新書)

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