断腸停

『断腸亭日乗』を読む (岩波現代文庫)

「『断腸亭日乗』を読む」 (岩波現代文庫)を読んだ。

濹東綺譚 (ぼくとうきたん)』(岩波文庫)を読んでから好きな永井荷風。彼の印象は端的に言うと、ダメ男でエロじじいなんです。でも自由に生きていくという、私たちが持つけれどもできない「あこがれ」を生きた人でもあったように思うのです。

放蕩者としての生きかた

彼は、女と遊んでばかりの放浪者で、食事はすべて外で楽しむ美食家で実家が金持ちで自分の全財産を詰め込んだ小型のボストンバッグを肌身離さずに持ち歩いて、結婚もせず1人でのうのうと娼婦と遊び尽くす。

P 93

なかなか端正な姿をしていますし、良家に生まれて、子供のときからうまいものを食って育っているから、お坊ちゃんのような、いい顔をしていますね。そしてお金がある。勉強もして、学問もあるというように、実にいい条件が揃っています。それをいいことに、荷風は帰朝した三十歳から約三十年間、したい放題に放蕩したという感じです。

親類縁者に頼らず、作家仲間と群れることもなく、女好きで、「放蕩の限りを尽くし、性の深淵も覗いた」と本著『「断腸亭日乗」を読む』 (岩波現代文庫)で表現されているのだけれど、本当にぴったりな表現だと思う。

放蕩者と言われながら、満79年の生涯を本当にたった一人で生き抜いた。1人で生きるってなかなかできない。最後は、食事をして帰ってきてそのまま尻を丸出しにして1人で血を吐いて死んだ。

彼の繊細さと魅力

だけど、どんなにダメ男なんて言われてもわたしが彼に魅力を感じたのは、彼の私小説なのではないかと言われる濹東綺譚 (ぼくとうきたん)』を読むと、お雪と恋に落ちるのだけれども自分のような年寄りと今後一緒にいては君の未来をダメにする、というような若いお雪との将来を相手のことを考えて(これがダメ男の言い分なんだよと言われるかもしれないけれど)彼女と別れる彼を見ると、単なる放蕩者ではなくものすごく責任があるからこそ誰かと暮らすことができなかったのではないか、温かい人間性のようなものを感じたのだった。

そして庶民の女を見たり、小さな物事を見つめた先にいじらしさとおかしさと悲哀を見る荷風の繊細さが好き。永井荷風の俳句に「名も知れぬ 小草の花や つゆのたま」というものがある。美しい壮大な花よりも、名前もない道端に咲く草花に惹かれる、その美的感覚というものには嫉妬すら覚えてしまう。

荷風の文学と女

荷風は作品について、「女性を切り離して自分の文学はない、だから女は大事なんだ」ということを実際に言っていたそうです。だから一緒に過ごす女をよく観察していた。そして1〜3年くらいの短い期間で別れるのです。なぜ別れたのかはどこにも書かれていません。

放蕩者の荷風に女が愛想を尽かしたのか、はたまた荷風が女に飽きたのか。理由はわからないし、そんなことを考えるほうが野暮と思われてしまうようです。でも野暮でもいいから、その余白を考えてみると、私は彼は人一倍「女想い」だったように思ってしまいます。

女が自分から離れるように仕向けるというか、自分とこれ以上一緒にいてはいけないということを彼のほうから伝えたこともあったのではないでしょうか。野暮な想像ではありますが、それくらい女遊びは激しくとも、女一人ひとりを「人」として見ていたように感じ取れるのです。以下の引用に、「荷風は私娼、町の売春婦を職業を持った生活者として軽蔑せずに対等に付き合っています。」とあり、自分が濹東奇譚を読んだときに感じた彼の優しさのようなものは間違っていなかったと思いました。

P 109

おそらく日本の文学者で、荷風だけではないでしょうか。妻がいないから自分はフリーだと、性的交渉を目的に女性と付き合い、しかもそれを公然と書いた。どういうつもりなのでしょうか。それは大したことじゃありません、趣味の問題です、と言われてしまうかもしれませんが、そこが荷風の謎な感じがします。荷風の正体の、わかったようでわからないようなところではないかと思います。

日本の女性に対する男性の道徳観は、要するに、一度汚れたらきたないということです。男性にはそんな条件はありません。戦国時代には女性を戦利品と見てきたし、封建時代には商品と見てきたことがいまだに尾を引いているのです。荷風は私娼、町の売春婦を職業を持った生活者として軽蔑せずに対等に付き合っています。

荷風にとって第二の故郷であるのがフランス。その自由な地から帰ってくると、彼はどうしても日本の生活、習慣、家族制度を、フランスと比較して息苦しさのようなものを感じていたように思います。そして、世の中が次第に戦争に引き込まれ、侵略されることに心を傷ませ、何事に対しても純粋な気持ちを書き表しました。

そして、食事を外に食べにいく中で、食糧が逼迫していく様子を体で感じ取っていくところが、彼の人間臭いと言いますか、五感を使って豊かに生きていたように思われます。金を使えばいくらでも買えたヤミ市には手を出さず、金の惜しさではなく、「現実の枠の中のギリギリの線で、戦っていきたいという気持ちがある。制限の中で自分を戦わせていたい」という永井荷風の生き様も見てとれました。

さらに彼には、育ちの良さからなのか品がある。いくら愚痴を溢そうとも女のエロスを描いても品がある。彼を理解する上で、荷風の品性の高潔に関する記述も大変役に立ちました。

P198

おれは国家に対して復讐すると言ったりしているけど、復讐する力も何もない人間、トランクひとつ持った人間が、そこで叫んでいるのも、また荷風なのです。わたしが『断腸亭日乗』を読んで感じるのは、井戸端会議的なことを、当たり散らしているようであっても、荷風の品性の高潔さがその発言を高めているということです。『断腸亭日乗』の中で、世間に対し、国家に対し、風俗に対して発言しているところにとくにそれを感じます。

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