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他人の自死について思うこと

芸能人の自死が多い。女優さんも居なくなっているけれども、私が印象的なのは男性俳優。彼の精神性の高さから考えて、SNSで誹謗中傷を受けたショックで…なんてことは決してなく、もっと奥深いところで自分と対峙し、追い詰まったのかなと。

悲しいですね。

彼らの死を詮索するわけではないけれども、死を選んだ根底に感じるのは誰もが持つ、『投影性同一視』で苦しんだのでないかということ。

投影性同一視とは

分かりやすい表現で言えば、他人を利用した自己愛。それと同時に、他人を利用した自己嫌悪。つまり、他人を鏡のように使う。

他人と自分の「境目」がわかることを大人と子供の違いであるとすれば、それがわかっていないということにもなるだろうか。

そして、他人という鏡に映った自分に向かって、自己愛的な賞賛を投げかけたり、あるいは逆に鏡に映る自分の醜い姿に向かって、激しい嫌悪感を剥き出しにしたりする。

表面的には相手を賞賛しているのだけれども、内側では憎しみがあわらになっている。

自己愛ってなんだよね、本当に

他人を鏡にして自己愛を映し出すこと。どうしてこうしてしまうのか。これは、自我が貧弱なために自分で自分を愛することができないから。

自分に向き合おうとすると、どうしても見たくもない不都合な自分と向き合わないといけないから、そういう不愉快な事態を避けるために、自分ではなく他人に自分を映し出す。そしてそこに自己愛を注ぐ。

第三者の視点から見れば、「他人のことはいいから自分のことを考えれば?」という状況が生まれてくる。

これって、恋愛だけでなく、社会におけるハラスメントやお局からのいじめ、学生たちの人間関係、そのすべてに当てはまる。他人と自分の境目というのがキーワードになってくる、つまり大人が本当に大人として成熟していない場合が多い。

表立ったボランティアが苦手な理由

つまり、極端な言い方をすれば、他人の人格や個性などはどうでも良くて、あくまでも自分の延長としての存在としてしか他人を理解しない。これはたとえば弱者の救済という形で表現されることもある。救いを求めている自分自身を、他人という鏡に映し出すのです。

そして、そこに映し出された哀れな自分を、必死になって救おうとする。作品だと、角田光代の『紙の月』がこれを描き出している。金銭的に苦しむ大学生・光太に犯罪を犯してまで貢いでいく彼女は、端から見ればいい妻で学生のときにはボランティアに励む、他人に尽くす女性だった。でも自分がなく、他人に自己投影して徐々にエスカレートしていった。

わかば銀行から契約社員・梅澤梨花(41歳)が約1億円を横領した。梨花は発覚する前に、海外へ逃亡する。梨花は果たして逃げ切れるのか?―--自分にあまり興味を抱かない会社員の夫と安定した生活を送っていた、正義感の強い平凡な主婦。年下の大学生・光太と出会ったことから、金銭感覚と日常が少しずつ少しずつ歪んでいき、「私には、ほしいものは、みな手に入る」と思いはじめる。夫とつましい生活をしながら、一方光太とはホテルのスイートに連泊し、高級寿司店で食事をし、高価な買い物をし・・・・・・。そしてついには顧客のお金に手をつけてゆく。(Amazon

表面的には弱者を救済しようとしているように見えるけれど、本当に救おうとしているのは他でもない自分自身。実際に自分で自分を救おうとすると、「見捨てられた自分」という、苦痛に満ちた心理的現実と向き合わなければならなくなる。

生きるってデフォでつらいからこそ

この苦痛をどうしても人は避けたがる。自分に向き合うって本当に大変なことだし、下手すると、これで死んでしまうことだってある。でも向き合わないと、他人という鏡に自分を救おうとする、正しい人にとってはこれはあまりにも卑しくて避けたくて自分を責める理由になる。

向き合っても向き合わなくても苦痛が伴う。だからこそ、他人と自分が存在する生きるというのはデフォでつらい。生きているだけですごいと言われるのは、生きるって本当にしんどいからだ。

自分に向き合わずに、目を背けたくなるような苦痛を理解しないで、利用できそうな都合のいい弱者を探し出す人間ほど、私が軽蔑する人間たちはいない。だけど、そういう悲惨な状況から逃げ出す人のほうがこの世の大半だと思う。

だからこそ、自分自身の悲惨な状況を省みて、他人に情熱を傾けることもなく、第三者から自分だけを情熱を持って冷めた目で見て、それでもどうしようもなくて自死した人のことを避けることは絶対にできない。

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