勝手にものぐさ精神分析「フェミニズムは自己欺瞞」

フェミニズムって難しいことだという自分への指摘でもあります

「逃避する自分を正当化したいという気持ちといつも向き合っている」のだと懇願されても困ってしまう。この向き合い方で自己実現できないからと怒り、苦しみ、悲しむというのは間違えた方向にしかいかない。逃避する自分を正当化させてくれと答えてくれる社会はそうない。

価値規範が女性を抑圧するものであることは、言い換えれば「自分が抑圧されているのは社会が悪い」にすり替えられる危険性を孕んでいることをいつも心の片隅に置いておかないといけないと思っている。なので、頭ごなしに私が不幸なのは社会のせいだ、男のせいだと発言して行動に移している女性を見ると「一緒にしないでほしい」という気持ちが生まれるのである。そして今自分の状況を表す便利な言葉がないから、うまく定義できない言葉であるとわかっていながら「フェミニスト」を使うしかなくなっている。そして「女」であることを認める自分がいる。

「フェミニズムは自己欺瞞」と言い切ってしまうと、怒る人がいるのは当然だと思う。だけど、自分の状態や問題を正当化したいという根底にある状態であるまま、自分の状態を騙し、あざむくのは、余計に自分の良心と本心に背いている行為であり、そういう状況である人も少なからずいるのではないかと思ってしまう。私自身が、女の理論がどこにあるのかを考えたときに、日本ではなく海外のフェミニズムを学びたいと思うのは、日本で最近よく出版されているインスタグラムから発信される女子高生や20代前半の共感を掻き立てるエッセイ(これをエッセイと呼ぶのは納得できない、文学的な価値を下げるなよ)でも社会に直接訴えかけ働きかけるMeToo運動でもなく、今起きているニュースや過去の研究にもとづく理論に引きつけられるのは、フェミニズムが正義とは遠く離れていて、単純に学びとしておもしろいと感じられるからかもしれない。

現状の日本のフェミニズムを見ると、日本の終戦後と同じように激動した時代で皆が「確実なもの」を求めているように思える。その頃の日本の近代化とは、政治や軍事だけにあったのではなく、それをきちんと支える技術があった。語るより何よりも技術があり、ものを動かしたりする社会がそこにはあり、確実な「もの」を人々は熱心に追い求める時代であった。だからものづくりの日本になれた。

日本の今は、他の国と同様「もの」は不要な社会となっている。若い人は、モノを持たない暮らしを求める。単にモノを買えない金銭力の低下と、モノを置けない敷地面積の狭さが理由であることもあるが、欲も体力もない若者と批判される。この社会的な存在については今回の議論からは外れるのでひとまず横においておくけれでも、現代はもう「モノ社会」ではない。

ネットで全てが賄える、手元に何かがある時代ではない。だから「確実なもの」を求めて人々はネットに集い、発言をする。語らなくていいことまで語る。ハッシュタグをつけ、個人が政治発言をしている。語るより走る時代ではない。ブレブレの激動の社会、コロナ時代(それより前からおかしかったのになぜその時は行動しなかったのか?)に確実なものがほしい。

何か変わらない不変的なものがほしい。それというのは、時にお金であり教育であることが多い。だから今の社会はお金社会、教育番組にあふれている。役に立つ不変的なものがほしいと皆が渇望している。(それが本当に不変的な内容なのか、今一度見た方がいい。名前だけの雑学や使い道の定かでない金はいらない。)

そして不変的な自分がほしいと望むのであろう。そうすると次は何かで私を表現したいという、自己表現につながる。それが現代であれば、ツイッター、ユーチューブ、インスタグラム、TikTokが便利で無料の自己表現ツールとなり、みなが努力してアピールしている。でも自分ほど変化していくものはない、そうすると過剰に自分の変化に反応する人もいそうだ。自己表現しようとすると「私の強みは?」「私には何ができるの?」と、どう自分を表現すればいいかという壁にぶつかる。就活も同じである。

ここで「ない」人が、変わらぬ自分の特徴を絞り出したときに「女」であるというキーワードだった場合、一見「女」というワードは、性別の呼称であり、呼び名も言葉も存在し続ける、変わらない不変的なものであり、世界中に在り続ける存在であり、自分自身の枠を大きく囲えた気がしてくる。これが日本のフェミニストの一種の出現方法であるようにも思っている。

はじめに言った、「フェミニズムは自己欺瞞」とうのは全員に当てはまることではないが、全員にはらんでいる危険性である。「フェミ」流行の後ろで、自分を知らずに正当化する危険性も忘れてはいけない。「女性である」という理由だけで女性を担っている社会成員の一員であると勘違いしてはいけない。その前に、「あなたは誰だ」「自分は誰なのか」「あなたの言う女は誰なのか?」「自分の言う女は誰なのか?」自己欺瞞に陥らないために、ひとまずは発言するときに躊躇うべきだ。

このためらいが女の社会をダメにしてきたと言われても構わないが、論理的に破綻することもあるくらいに「フェミニズム」というのは難しいことなのだと指摘しておきたかった。

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