COVID19

安倍の退任と菅官房長官の価値観

コロナ禍。もし、スーザン・ソンタグが生きてても今「戦争」のメタファー使ったんじゃないかなという気がする。

ウイルスが「敵」だとしたら換喩的に感染者も「利敵者」と解釈されがちになるし、ウイルス感染防止のための「作戦」への異論を唱える者も「敵」になってしまうので、戦争というメタファーは必ずしも正しくはないように思うが、戦後であっても戦争を知らない私たちにとってコロナは新しい戦争のようだ。それも全世界を巻き込んだ、終わりの見えない大戦となっている。

「ウイルスと平和と共存する」、新しい日常というものがはじまったらしい。カタカナ、横文字好きならニューライフスタイルにしたらよかったんじゃないかと思うけれども、二子玉やムサコ的な新興住宅地域のスローガンみたいだから、新しい日常でマシではあったか。

感染がピークであったときにも、マスクをせずに街中を闊歩する人は多く居た。外出できない分、近所を歩いていたのだろうけれども、あの頃は彼らに対して「感染を止める気がなく、感染したい人たち。そして皆が緊急事態宣言を待ってる」人たちに見えた。おのずとこの仕事に外に出なくてもいい状況を維持するために、自ずと感染を広げようとしている人も多くいたように感じた。

もうすぐ終わる安倍政権。病気らしいのだけれども、約8年ものあいだ、何をしてきたのか。自分の無能さをようやく認識しているのか、はたまた病気のせいにして自分の無責任さと無能さには向き合っていないのだろう。

マーガレット サッチャーの映画を見ていても思うことは、安倍と一緒で10年以上続く長期政権であったが最後には組織は「ものを言えない」状況になっていて周りからの裏切りで終わる。「アベノマスク二枚」なんていう愚作も、本当はもうどうにでもなれという賢いメンバーの裏切り行為であって、総理・副総理に誰も口答えができなくなっているのだとしたら、その政権は、というよりも、その国はすでに戦時体制の中にあるというしかない。

安倍元総理大臣はとりあえず、側近やまわりの閣僚にきらわれている可能性が大きかったように思う。ふつうに出世したアタマの良い官僚や、マトモに選挙を通って来た機を見るに敏な政治家であれば、今回のマスク事案が世紀の愚策であることは、一瞬で見抜けるはずだからだ。そう考えると、一番近くにいた菅官房長官は大嫌いな安倍のもとにずっといて、愚作も引き継ぐといいながら虎視淡々と狙ってきた総理大臣の座につこうとしていて、私にはない欲深さと、キャリアという名のものに在任期間という多大なる時間を使ってきた、その時間という価値観の違いを往々にして感じる。

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