サルトルとボーヴォワール

1970年代のフェミニズム活動ーボーヴォワール『第二の性』、映画『サルトルとボーヴォワール』

1960年代アメリカでのフェミニズム運動は、その後の女性運動の数十年に影響を与え続けており、今日の日本にも変化をもたらしていると言えます。当時のフェミニストたちは、経済、政治、文化に大きな影響を与え、女性が存在を与えられている社会的構造を変えるまでとなりました。

ボーヴォワール『第2の性』について

基本的な主軸は、女性という社会的な存在者が構築される仕方や性差は、父権性社会が生み出した幻想にすぎないという考え方であり、男性にメリットがある社会に対して女性が差別され蔑まれている社会への投石である。

ボーヴォワール(フランス)は70年代以降、フランスの女性解放運動に積極的に参画、大きく貢献した。彼女の代表作であり、現在の男性と女性の生得的ではなく社会的な性差について述べる時によく持ち出される『第二の性』にこうある。

「ことが人種であろうと、カーストであろうと、階級であろうと、性差であろうと、それが劣等的な条件に押し留められている限り、それを正当化するやり方は同一である。」生得的な性意識は存在せず、同じように人種や民族に固有の性質などというものは存在しないと主張した。この言明はその後広く人々に膾炙し、フェミニズム運動の理論的な礎となっている。

『サルトルとボーヴォワールの哲学と愛』から見えた苦悩

ボーヴォワールは、伝記映画『サルトルとボーヴォワールの哲学と愛』でも見て取れるように、終生のパートナーだったサルトルと共に精力的な言論活動を展開しており、彼らの男女としての関係性が「女」は女にしたように思える。

「この神話的なカップルは、サルトルというよりもボーボワールが軸になっています。彼女はある意味犠牲者でした。犠牲に耐えたからこそ、神話的なカップルとして存在できたのです。彼女の人間性の深みに触れていくと、一見彼女は知的で、どちらかというと堅いイメージを与えますが、その裏にはものすごい苦悩があったり、傷を負っていました。でもそんな傷や葛藤があったからこそ、彼女の哲学が生まれたのであって、もしそれがなければ『第二の性』も生まれなかったでしょう」

サルトルからひどい仕打ちをうけても、別れを選ぶことはなかったボーヴォワール。本作では哲学者としての側面よりも、サルトルへの愛情、センチメンタルな感情的な部分を探れるように描かれている。娯楽映画として見て楽しめる本作は、女性はセクシーであると同時に自由であることを論じているまでに至った彼女の苦悩というのが垣間見える。

関連作品

雑誌感覚で読めるフェミニズム入門書『シモーヌ』(2020年)

「女である」とは、どういうことか想像しよう。姉たちが「女である」ことをどう受けとめ、その扱われかたにどう抗ってきたか。考えよう。どんな性であっても、どんな立場であっても、どんな世代であっても、そこに弱者がつくられないように何ができるか。
語ろう。(Amazonより)

映画『サルトルとボーヴォワールの哲学と愛』

哲学者サルトルとボーヴォワール。時代の寵児となった二人の半生を描く知られざる愛憎の物語。 1929年、パリ。二人は出会い、時代が動き始める。(Amazonより)

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<参照>

映画.com『サルトルとボーボワールの伝記映画が公開「若い世代に見てほしい」』

シモーヌ・ド・ボーヴォワール「ブリジット・バルドーとロリータ症候群」

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