『支配の構造 国家とメディア――世論はいかに操られるか 』(SB新書)から抜粋

『支配の構造 国家とメディア――世論はいかに操られるか 』(SB新書) から印象に残った部分を抜粋

P216 以下、引用。

戦争についての責任がもし文学者にあるとするならば、それは自分たちの欲望のもとであの戦争を推進した民衆の心に接近できなかったこと、そうした民衆の心を描き出そうとさえしなかったことではないか。

そういうところに接近してこそ文学者なのであって、吉本らの議論にはその部分が抜けていると福田は言っているんですね。ーー(略)

大衆が自分たちに欲望の延長線上で、ある種の悲劇を積極的に選んでいく構造を「文学として」描こうとする意思がブラットベリには見えるんです。

P 217

「選んでいるのが独裁者や政府ではなく『大衆の欲望』というブラッドベリのモチーフが、絶望的でありながらも希望もゼロではないことを思わせていて素晴らしいと思います。愚かな選択の積み重ねが生み出した世界がどれだけ破壊的であり、それが人間によるものである限り、また選び直すという可能性が残されている。」

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